
島根・奥出雲の地に根付く乳業の歴史
島根県雲南市、奥出雲の自然豊かな山間に佇む木次乳業。その歴史は、町の共同殺菌所から始まりました。創業者の佐藤忠吉さんが、自らの牛乳を安心して飲むために設立した小さな施設が、今や全国に知られる乳業ブランドへと成長しました。
私が木次乳業を知ったのは、ある料理研究家が「牛乳とヨーグルトは木次乳業」と絶賛していたことがきっかけでした。それ以来、自然食品店やグローサリーショップで目にするようになり、その素朴で滋味深い味わいに魅了されるようになりました。
実際に訪れた木次乳業は、昔ながらの里山の風景に包まれたのどかな風景の中にあり、地域に根差した酪農の姿がそこにはありました。
日本初の有機農業と低温殺菌牛乳への挑戦
佐藤忠吉さんは、日本における有機農業の先駆者として知られています。戦後、農薬を使用した近代農業が普及する中、その危険性にいち早く気づき、化学肥料を一切使わない酪農へと舵を切りました。
牛の健康を第一に考えた結果、1960年代には牧草の自然栽培を導入し、病気にかかる牛が激減したといいます。
さらに、佐藤さんは1978年、日本で初めて「パスチャライズ牛乳」を開発しました。
通常の牛乳は超高温で殺菌されるため、栄養素が変性し、風味も損なわれがちです。しかし、パスチャライズ製法では低温でじっくりと殺菌することで、牛乳本来の風味と栄養素を最大限に保持することができます。
「人様の口に入るものだから、いい加減に作ってはいけない」——佐藤さんは自らの体で安全性を確かめるため、3年間にわたって毎日パスチャライズ牛乳を飲み続け、その品質を実証しました。そのこだわりが、今も木次乳業の製品づくりに受け継がれています。

こだわりが生み出す、ほっとする味わい
木次乳業の牛乳やヨーグルトには、どこか懐かしく優しい味わいがあります。それは、自然の恵みを大切にし、余計なものを加えず、シンプルな素材の良さを活かす製法によるものです。
特に、ブラウンスイス牛のミルクを使った製品は、クリーミーで濃厚なコクがありながらも、すっきりとした後味が特徴です。
また、木次乳業が運営する「日登牧場」では、牛たちが広大な山の中で放牧され、のびのびと育てられています。輸入飼料に頼らず、地元の草を中心にした自給飼料で育てられた牛のミルクは、まさにこの地ならではの味わい。
どの商品にも、奥出雲の風土と、作り手のこだわりがぎゅっと詰まっています。

未来へ繋ぐ、持続可能な酪農のかたち
木次乳業の長年の歩みを支えてきたのが、営業の加納さんです。入社35年のベテランであり、佐藤忠吉さんから直接営業を任された最初の社員でもあります。
元々事務職として入社しましたが、その熱意と人柄を見込まれ、木次乳業の理念を広める役割を担うことになりました。
加納さんは、木次乳業の営業として長年活動し、その魅力を多くの人に伝え続けています。それは、佐藤さんが築いた“食の安心”という理念を守り続けてきた証。今も全国を巡りながら、木次乳業のこだわりを伝え続けています。
自然と調和した酪農を続け、次世代へと繋いでいく木次乳業。ここで生まれる製品は、単なる牛乳ではなく、大地の恵みと作り手の想いが詰まった特別な一杯。その牛乳から作られるチーズの深い味わいを、ぜひ一度体験してみてください。