自然と歴史の街、上田の酒蔵
山に抱かれ、川が走り、よく晴れる。城跡や古い町並みから「信州の鎌倉」ともいわれる上田の空気は、じゃんのある鎌倉とどこか似ていて、親近感を覚えます。
若林醸造は創業120年。家族で営む小さな蔵です。
歴史を感じさせる趣のある白い土壁と木の門には、蔵の代表銘柄「月吉野」の文字が力強く掲げられています。門には、杜氏の若林真実さんが出迎えてくれました。
蔵を継ぐきっかけとなった原点
歴史ある蔵ですが、驚くことに「最初は継ぐつもりはなかったです」と真実さん。
都会へのあこがれから上京し、大学卒業後はアパレル企業へ。東京で忙しい日々を送っていました。
転機は、学生時代に経験したアメリカ留学。実家が酒蔵だと話すと、多くの人が興味を持ってくれるのに何も語れない。「そのとき初めて、うちの酒蔵は日本文化の一部を担っているんだと気づいて、興味を持ったんです」と、振り返ります。
父も二人の娘に蔵を継がせるつもりはなく、自分の代で畳む覚悟をしていたといいます。それを聞かされた時、真実さんの胸に浮かんだのは「もったいない」「なくなるのは淋しい」という素直な気持ち。
「母屋は重厚な歴史ある建物で、小さい頃から大好きだった。なくしたくないと思ったんです」そんな想いが背中を押し、上田に戻り、蔵を継ぐ決意を固めます。
運命の出会いが導いた、若き女性杜氏の物語
当初、真実さんが思い描いていたのは経営者として蔵を支えること。杜氏になるつもりはありませんでした。ただ、留学時代に何も答えられなかった悔しさが心に残り、「自分で造れる知識が欲しい」と酒造りを学び始めたそうです。
そうして近所の蔵に師事することになり、出会ったのが78歳の杜氏。その人柄と酒造りに、尊敬と憧れを抱くようになったといいます。師匠との出会い、そして別れを経て、「杜氏にならなくては」という覚悟が、より確かになっていったそうです。
決して平坦な道ではなかったはず。それでも蔵で向き合った真実さんのまなざしは、迷いのない「杜氏の顔」でした。
日本酒離れの影響もあり、若林醸造では昭和44年以降長らく委託製造を続けてきましたが、2016年、真実さんは実に50年ぶりとなる自醸を再開。そこには、父から子、そして師匠から弟子へと受け継がれてきた想い、そして並々ならぬ覚悟がありました。
小さな蔵だからこそできる、丁寧なつくり
若林醸造では大きな機械は入れておらず、蔵には昔ながらの手しごとが今も残っています。
搾りは「全量槽搾り(ふなしぼり)」。自然な重みで、時間をかけてじわじわと搾っていく方法です。機械で一気に圧力をかける搾る方法に比べ、雑味が出にくく、やさしくまろやかな味わいが生まれます。
冷却も昔ながらの自然放冷で、ゆっくりと温度を下げることで、澄んだきれいな酒質に仕上がります。大量生産はできませんが、手間と時間も惜しまない、贅沢で丁寧な作りです。
原料には、上田産の酒米「山恵錦」。長野で開発された品種で、県外で耳にすることはあまりないかもしれません。口に含むと角のないやさしい味わいが広がり、その作りの丁寧さや手しごとの温もりを感じます。
続いていく、手しごとと想い
偶然と出会いから生まれた今の「月吉野」。
アパレルでの経験を活かしてラベルやホームページも一新。伝統を守りながら真実さんらしい表現が加わり、新しい蔵の魅力が広がっています。
その味わいには、自然と「いただきます」と感謝の気持ちが湧いてきそうです。