奈良県
千代酒造
ワインづくり経験のある杜氏がつくる、
田んぼの記憶を宿す酒
田んぼから生まれる酒
奈良盆地の南西、葛城山のふもと。のどかな田園風景に佇む一軒の蔵があります。
田んぼに張られた水が、夏の気配を帯びた日差しを跳ね返す田植えの頃、「千代酒造」を訪ねました。眼前に広がる緑がまぶしく、どこかゆるやかな空気につつまれていて、時間の流れまでゆっくりと感じます。
車を降りてあたりを見渡すと、目に入るのは趣のある古民家。ここであっているのかと少し戸惑いましたが、玄関先に吊るされた杉玉が目に入り、やっぱりここだ!とほっとします。黒い瓦屋根の建屋はどこか懐かしく、夏休みに田舎のおばあちゃんの家に遊びに来たときのことを思い出しました。
ワインづくりの経験を活かし、日本酒の世界へ
にこやかに迎えてくれたのは、三代目社長であり杜氏でもある堺さん。蔵の風景にすっとなじむ穏やかな佇まいの方でした。実は、堺さんはかつて山梨の老舗ワイナリー「中央葡萄酒」に勤めていたという異色の経歴の持ち主。結婚を機に、奥様の実家であるこの蔵を継がれたのだそうです。日本ワインを扱う私たちにとって、親しみを感じる出会いでした。
一粒一粒に宿る、土地と人のまなざし
千代酒造の酒造りは、田んぼから始まります。「良いお酒を造るには、まずは良いお米から」という想いのもと、自社の田んぼでの米づくりから取り組まれています。蔵で目を引いたのは、大きな精米機。この機械で、米の個性に合わせて精米歩合を調整して精米しているのだそう。仕込み前の段階からこれほどこだわって手間をかけていることには驚きました。
「田んぼや米による違いを表現したいんです」——その一言からは、米や土地に向き合う真摯な気持ちが伝わってきました。田んぼや米によってお酒の味わいや性質が変わる。そんな話を聞くのは初めてで、その違いがどのように表現されるのか、想像するとワクワクします。
「櫛羅」と「篠峯」―土地に根ざす名を冠して
蔵の代表銘柄である「櫛羅」と「篠峯」は、いずれもこの地にゆかりのある名前。「櫛羅」は、自家米と葛城山の伏流水から造られた、まさにこの土地の風土を映し出す一本です。「篠峯」は、さまざまな酒米や酵母を掛け合わせた、バリエーション豊かなシリーズ。その味わいの幅の広さは、小さな蔵が挑戦を重ねてきた歩みが伝わってくるようでした。
歴史ある蔵だから伝統的な酒造りに徹しているのだろうと思っていましたが、お話を聞くうちにそのイメージはどんどん塗り替えられていきました。秋田杉造りの麹室も見せてもらいましたが、そこには、昔ながらの環境を守りながら、現代的な感性を取り入れた「旧くて新しい」酒造りの姿がありました。
銘柄の名前からも、この土地への愛着や代々続いてきた酒造りへの誇り、そして先人たちへのリスペクトがにじみでているように感じます。歴史や風土を大切にしながらも新しい挑戦を重ねる柔軟な姿勢に、改めて心を動かされました。
この地でしかできない表現を探しつづけて
「酒造りって、何年やっても正解がないんです。」堺さんのこの言葉が印象に残っています。正解を目指して仕上げていくものだと思っていた私にとって、「この地でしかできない表現を追求する」というのは心に残る考え方でした。どう表現するのか、そこにはきっと造り手の感性がにじみ出るはず。堺さんがこれからどんな日本酒を生み出していくのか、ますます楽しみになりました。「今後は自社米を使った酒の比率をさらに高めていきたい」そんな想いも聞かせてくれました。
帰り際、改めて田んぼを見渡しながら、まだ見ぬお酒に思いを馳せます。「ここからお酒ができるんだ」と思うと、その一杯を味わう時間が特別なものになる気がしました。