田んぼの町の酒蔵
郡山駅からバスに揺られて30分。コンクリートの風景が次第に遠ざかり、窓の外にはどこまでも続く田畑。そんな風景の中に現れる、「仁井田本家ハコチラ」という文字と大きな家紋の道標、そして自然酒と描かれた木桶には不思議な存在感があり、映画の世界に迷い込んだような気分になります。
仁井田本家のある田村町金沢は、稲穂が金色に輝き、まるで沢のように見えたことからその名がついたといわれている場所。訪れた時にはみずみずしい緑に一面覆われていましたが、秋になれば、今もその名のとおり、黄金色の風景が広がるのだろうな、と想像が膨らみます。
300年前の酒造りに立ち返り、土地の力を映す自然酒を目指して
江戸時代に創業され300年以上の歴史を持つ蔵は、現在18代目の仁井田穏彦さんが蔵元と杜氏を務められています。
2011年、創業300年という節目の年に、仁井田さんは蔵で造るすべての酒を無農薬の自然米100%の純米酒とするという、現代の酒造りではほとんど見られない取り組みを始めました。それは「300年前の製法に戻って、土壌の特徴を映す自然酒を追究していく」という信念からです。
有機米を使うというのは、手間も時間も、そしてコストもかかる道。それまで造ってきた酒を一度すべて手放し、蔵としての在り方を見直すような決断には、18代目の強い想いと大きな覚悟が感じられます。蔵で働く方が語った「蔵元の強い信念には自然とついていこうと思えるものがある」という言葉からは、蔵元の想いが蔵全体に広がり、皆が同じ方向を見て酒造りに向き合っている様子が伝わってきました。
自然と歩む、酒造りのかたち
仁井田本家が大切にする「自然」は、米だけにとどまりません。酒造りに使う木桶の一部に裏山の杉の木を使っており、水は敷地内に湧き出る天然水を使用。地元の恵みを存分に生かし、自給自足の酒造りを目指しています。
自然の力にまかせて成り立たせるには、水や米だけでなく、土、木、そこに棲む微生物まで、地域を取り巻く自然環境全てが健やかに保たれている必要があります。そのためには人の手による働きかけも欠かせないのだとか。たとえば、間伐を行い森を育てることで、豊かな湧き水が保たれるのだそうです。
この地では、自然の力と人の営みが支え合い、ぐるりとつながった壮大な循環が育まれている。そして、仁井田本家の酒造りは、まさにその循環を体現するものだと感じました。そこから生まれる酒は、その壮大な循環の一部。この土地に生きる人と自然が織りなす命のめぐりの一滴、そんな風に表現したくなります。
酒でつなぐ未来
印象的だったのは、この酒造りのかたちにたどり着いた背景に、「自分たちの生まれ育った町を、どう次の世代につないでいくか」という問いがあったことです。
どうすれば、一枚でもいい田んぼを残せるのか。そんな思いを何度も重ねながら、現在のシンプルな造りにたどり着いたのだといいます。この土地の、そして蔵の歴史を受け継ぎ、未来によいかたちでつないでいく。長い時間の流れの中で、今をどう生き、どんな酒を造っていくのかが、真剣に考えられていました。
シンプルで洗練されたラベルは、一見するとスタイリッシュな雰囲気をまとっていますが、実際に蔵を訪れて話を聞いてみると、その奥にある考え方は実直で骨太なものでした。自然に任せればこそ、毎年同じ味に仕上げるのは簡単なことではありません。そんな中でも妥協せず、「ちゃんとおいしいものを届ける」という、酒造りに携わる者としての揺るぎない姿勢に、私たちも強く共感しました。