浄智寺で出会った、静かな信念の人
安蔵正子さんに初めてお会いしたのは、北鎌倉の浄智寺で開催したじゃんのイベントでのことでした。安蔵さんのご主人、シャトー・メルシャンの安蔵光弘さんの半生を描いた映画『シグネチャー』を、みんなで鑑賞する会を企画し、映画を撮った監督と安蔵さんご夫妻をゲストにお迎えして、三人でトークをしていただいたのです。
映画の中にも、正子さんは登場していました。安蔵さんが師と仰いだ人物との出会いから、その方が亡くなるまでの一部始終をずっとそばで見守り、支え続けてきた女性として。そして同時に、自分でワインを作りたいという夢を、強い信念とともに持ち続けてきた女性として描かれていました。主役ではなく、あくまで奥様としての登場でしたが、その存在感は確かなものでした。
実際にお会いした正子さんは、決して口数の多い方ではありません。淡々と、静かに話される方です。でも、その言葉の端々から、そして醸造という仕事に人生をかけてきた歩みそのものから、揺るぎない信念の強さが伝わってきました。
女性というだけで遠ざけられた現場に、たどり着くまで
正子さんは、映画にも登場する老舗ワイナリー「丸藤葡萄酒工業」で長年働いてこられました。人づてに聞いた話では、醸造という仕事がまだ男性中心とされていた時代、女性である正子さんはなかなか現場に携わらせてもらえなかった時期があったそうです。それでも諦めず、社長に掛け合い続け、ようやく醸造の現場に立てるようになりました。そこから素晴らしいワインを次々と生み出し、長く醸造責任者として活躍されてきたといいます。
畑自体は2000年から自分で持ち、しばらくは収穫したブドウを他社に委ねていた時期もあったそうです。ただ、ご自身が病気を経験されたことをきっかけに「自分のワイナリーを持ちたい」という思いが一気に強くなり、当初の予定より10年も早く、カーブアンとして独立することを決意されました。かなり年齢を重ねてからの独立で、まさに「やっとたどり着いた」という言葉がふさわしい船出だったのだと思います。
一人で背負う畑と醸造所
正子さんが山梨市に持つ畑を、実際に見せていただきました。標高400メートルほどの急な斜面に広がる、決して大きくはない畑です。畑はほかにも複数箇所に点在しているそうで、「管理がとても大変なんです」と話してくださいました。それでも、こうして手間のかかる場所に何箇所も畑を持ってでもワインを作り続ける正子さんの姿から、静かながらも揺るぎない信念の強さを感じました。
醸造所も見学させていただきましたが、女性一人でも無理なく回せるように、タンクの大きさやブドウの持ち上げ方まで、すべてが正子さんのサイズ感に合わせて考え抜かれていました。淡々と話される正子さんですが、これだけのことを一人で担ってきたのだと思うと、その仕事量と覚悟に驚かされます。
フランスでの日々が息づく、優しくきれいな味わい
カーブアンのワインは、基本的にとても優しくきれいな味わいのものが多いのが特徴です。山梨の老舗らしい甲州のワインはもちろんありますが、白ワインに仕立てたプティ・マンサンや、赤ワインに使うタナ、メルローといった品種にも取り組んでいます。
これは、ご主人の仕事でフランスに渡り、現地で暮らしながらワインを学んだ経験も影響しているのだと思います。代々山梨でワインを造り続けてきたつくり手の方々とはまた少し違う感覚が、品種選びのひとつひとつに滲んでいるように感じました。
静かに、しかし確かな信念で自分の道を歩んできた女性醸造家、安蔵正子さん。そのヒストリーごと味わってみてほしい一本です。ぜひ一度、購入してその想いを体験してみて下さい。